大西巨人「クリエーティヴ・パワー」の出典

はじめに 大西巨人の「人は、クリエーティヴ・パワーを持続して長生きをしなければならない」という文言について、出典を示しながら引き写す。当該文言は、1986年発表の短編小説「墓を発く」に初めて掲出され、「以後の大西作品において持続的に考察されるテ…

大岡昇平『ながい旅』:「真生塾」に関して

梯久美子『昭和の遺書:55人の魂の記録』(文春新書)を読み、大岡昇平が岡田資元陸軍中将の戦犯裁判を描いた『ながい旅』を読みたく思ったのだが、ちょうど引っ越し後の荷解きで積読本の箱から角川文庫版(2007年刊、底本は1982年新潮社刊の単行本)が出て…

戒壇堂・広目天によせて

奈良行きの阪神電車の中でのあわただしい予習で町田甲一『大和古寺巡歴』の東大寺戒壇堂四天王立像の項を読み返していて、それらについて、個々の表情ばかりでなく、四体の像容の構成を美としてとらえるべきであることに気づいた。昨年の4月に訪れた際は、土…

旧制神戸一中の校歌の歌詞

何の(誰の)役に立つとも知れませんが、個人的に気になっていた旧制神戸一中の校歌、web上で探しても確実なものが見つからないので、「SONGS TO REMEMBER」に従って文字に起こしておきます。「自重自治」「質素剛健」「鵬雛」といった言葉が織り込まれてい…

薬師寺にて(2018.6.7)

薬師寺で嫌なものを見た。 一年前に見逃した東院堂の聖観音像を拝んだあと、薬師如来坐像をゆっくり眺めようと金堂に入ったところ、一見して東アジア出身と思われる十名ほどの一団が、本尊を眺めていた。何人かは僧と思われる格好で、若い人はカジュアルな服…

一人では行かなかった場所について(2018.6.18)

湖東三山を巡って永源寺に向かう道中、同行の黒木さんがつい最近一人で参られたばかり、と聞いて、少し申し訳なく思っていた。永源寺の後は特に予定がなかったので、太郎坊宮にでも行きましょうか、という話もしていた。太郎坊宮には数年前に行ったことがあ…

随想:瓔珞の影

くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の かげ うごかして かぜ わたる みゆ 會津八一『鹿鳴集』中、私はこの歌に最も感じ入った。その感想は、きわめて個人的なものであるが、歌とその詠まれた対象に属す客観的な要素と、それを鑑賞する私の主観的な要…

「困り」

枝雀の「くっしゃみ講釈」がおもしろくて実家にあったDVD(「枝雀落語大全」第二集)で何回も見ていたのだが、『桂枝雀のらくご案内 枝雀と61人の仲間』の解説に「困り」という単語があった。連用形転成名詞ファン(マニアまでいかない)としては、大事にし…

『夏草の匂い』など

・高橋昌男の『夏草の匂い』の一部が教材になっていて、問題文の末尾=作品の終わりなのか続きが気になる、というので見ておこうと思ってそのままになっていたのだが、実家から講談社文芸文庫の『戦後短篇小説再発見』を持って帰ろうとしたらそのうちの1巻に…

伊豆のうどん粉 vs 伊豆のロドリコ

いしいひさいちの「ドーナツブックス」のサブタイトルの文芸作品のパロディはどれもいいが、最近「さよなら絶望先生」に「絶望文学集」という30作品分ほどのパロディがあるのを知った。 ドーナツブックス http://www.dajare.com/syakai/20010630.html 絶望文…

『輝ける闇』から

・開高健の『輝ける闇』に「文章は形容詞から腐る」というような言葉があって、学部2年の冬ごろ家にあったのをはじめて読んでから大分経って思い出し、どこにどう書いてあったか探そうと思っていたのだが、なんとなくそのままにしていた。最近また思い出す機…

『リツ子・その死』から

『リツ子・その死』の最後の場面に、次のような用例(最後の文)があった。明快な説明には困るが、いい用例だなと思う。作家の腕の見せ所であり、こういうものこそ「解釈」したくなる。 「ねえ、チチ。タロ、ポンポン大すき」 と今度云う。 「そうか、おにぎ…

『あしたのジョーは死んだのか』など

・小学館の昭和文学全集別冊の年表を見ていたら、1978年7月の欄に「あしたのジョーは死んだのか」(朝稲日出夫、文芸展望)があって、単行本を震災前に父親の本棚(か、震災後の名塩の物置)で見かけたのを思い出した。表紙はジョーが椅子に座って真白になっ…