『リツ子・その死』から

『リツ子・その死』の最後の場面に、次のような用例(最後の文)があった。明快な説明には困るが、いい用例だなと思う。作家の腕の見せ所であり、こういうものこそ「解釈」したくなる。

「ねえ、チチ。タロ、ポンポン大すき」
 と今度云う。
「そうか、おにぎりか」
 といつの頃からか空腹をポンポン大すきと云いはじめた我子の片言をいぶかりながら、肩の雑嚢を下ろすのである。
「ハハもきつい、きつい、って」
 と私は腰の骨壺をゆすって見せて、バンドに下げた締り目を解き、日溜りの砂の窪地に先ず置いて、それから自分も腰をおろした。
「太郎。母のポンポンの上で御飯を喰べようか」
「うん、うん」と太郎は嬉しそうに肯いて、
「ハハもおにぎり喰べたい、喰べたいって?」
 今度は私が笑って肯いてみせるのである。そこで骨壺の上に握り飯の竹の皮をのせた。発ち際に下のオバさんが作ってくれたおにぎりには、きっちりと沢庵が添えてある。その横に小さな茄子の味噌漬が光っていた。
「ほうら、太郎。味噌の骨」
 私はそれを指でつまんで、いぶかる太郎の口に入れてやる。
「すっぱい、すっぱい」と太郎が眉根を寄せている。
 「味噌の骨」には死者の思い出があった。食慾の無い日にはきまってリツ子が「ほらあの骨を」と狡そうに私に甘えて、下のおばさんから味噌漬をねだらせたものである。結核が腸に来たと自分でも知ってからは、いつとはなしにその「味噌の骨」を云わなくなった。言葉の「骨」を忌んだのであろう――。
何もかも済んで終った。見ろ、おまえの白け果てた骨の上に、こうして父と子が「味噌の骨」をのせて握り飯を喰べている。
(『リツ子・その死』新潮文庫303-304ペ)