『輝ける闇』から

開高健の『輝ける闇』に「文章は形容詞から腐る」というような言葉があって、学部2年の冬ごろ家にあったのをはじめて読んでから大分経って思い出し、どこにどう書いてあったか探そうと思っていたのだが、なんとなくそのままにしていた。最近また思い出す機会があったのでざっと読み直してみたら、次のような部分だった。

 壁のどこかでダニエル・ダリュウが年齢とも思えない声で《さいごのダンスを私にとっといて》を唄っていた。革のように輝く声がうねり、叫び、遠ざかる。われわれは従順にアルジェリア産の赤を飲み、スープをすすり、肉を食べ、スフレをすくい、船のように重くなり、眼をうるませてタバコをくゆらした。大尉は私が小説家であることに興味を抱いたので、私は日本語には漢字とひらがなとカタカナの三種があって、小説家はその三種を縄のように編んで文章を書くのだが、主語が無数にある。英語のように《I》一つではすまないから、どの《I》を選ぶかでまず作品の雰囲気が決定される、これは他のどの国の作家にもない苦心のところだ。なかには《I》を作品中に一度も書かないですませられる手法もある。また、不可解であればあるだけ有難がられる傾向があるから、どの程度にそういうものを入れるかの計量がむつかしいのだと説明にかかった。はじめのうち大尉は東京の《ラテン・クォーター》で法外にボラれたことをこぼしていたが、つぎに日本は伝統を破壊せずに近代を導入することに成功した珍しい国で、いたるところに純粋があるといいだした。けれど私が文章作法を説明しつづけるうちに、だんだんとまなざしが朧になってきた。
食後のコーヒーをすすりながら大尉が、未知のものに対するありありとした、けれどひかえめな尊敬の口調でたずねた。
「あなたは才能のある人のようだ。私は日報しか書いたことがないけれど、小説を書くのはむつかしいものなんでしょうね。日本へ帰ったらこの国を舞台に小説を書くんでしょう?」
「いや、まだきめていません。小説を書くためにきたのじゃないんです」
「われわれのことも書くんでしょうな」
「もし書くとすれば匂いですね。いろいろな物のまわりにある匂いを書きたい。匂いのなかに本質があるんですから」
「日本語が読めないのでざんねんですよ。あなたの小説を読んでみたいな。一部、献辞と署名をして送ってくださいよ。ぜひね。けれど、私の考えでは、文学は匂いよりも使命を書くべきものではないですか。もちろんあなたの自由ですけれど、私なら使命を書く。匂いは消えても使命は消えませんからね。私ならそうする」
「使命は消えませんか?」
「消えませんとも」
「使命は時間がたつと解釈が変ってしまう。だけど匂いは変りませんよ。汗の匂いは汗の匂いだし、パパイヤの匂いはパパイヤの匂いだ。あれはあまり匂いませんけどね。匂いは消えないし、変らない。そういう匂いがある。消えないような匂いを書きたいんです。使命も匂いをたてますからね」
 壁にもたれ、ハイビスカスの花のかげでタバコを噛みながら、私は、小説は形容詞から朽ちる、生物の死体が眼やはらわたから、もっとも美味な部分からまっさきに腐りはじめるように、と考えていた。ひょっとしたら大尉が正しいのかもしれない。使命が骨なら、それはさいごまで残り、すべてが流失してから露出される。しかし、匂いが失せてからあらわれる骨とは何だろう。(新潮文庫107〜109ペ)

圧倒的に具体的描写が強い文章のどこにそのような一般的な言葉があるのかと思っていたが、たしかに前後の場面は話の本すじでもなく、具体的な場面として印象に残るものでもない(食事の場面なら、この部分の含まれる節冒頭の部分のほうが記憶に残っていた)。しかし、この言葉をこの小説の具体性のなかから抜き出して格言めいた使い方をするのは、「匂いが失せてからあらわれる骨とは何だろう」という独白のとおり、虚しいことかもしれない。

・ほかに、いくつか心に残っている部分があったのだが、それは昔他専修で書いたレポートにそのまま抜き出してあったので、探す手間(と楽しみ)は省けた。いずれも情婦の素娥と寝たあとの場面。

 とつぜん私は素娥をうながしてベッドからおりると、車庫のすみへ行って、土がめの水を浴びた。渇望していたとおりであった。夜ふけの素焼の土がめは肌がぐっしょり濡れて、水はふるえあがるほど冷たかった。闇のなかで彼女は私に触れて笑い、私は彼女をさぐって笑った。奥処の芽はすでにひきしまって硬くなっていた。私はコンクリート床に両手をつき、頭から水を浴びせてもらって、犬のように身ぶるいした。
 素娥はたくましく腿をひらき、
「……ああ。いいわ……」
 とつぶやいて、水を使った。
 ごぼごぼと音をたてて水が吸いこまれていった。河と、湾と、荒涼たるマングローヴの湿原が背に感じられた。億をもって数えられる私の種子が発熱した土のしたをくぐって海へ帰っていった。巨大なエイや伊勢海老の棲む南支那海へ鮭の仔のように帰っていった。(新潮文庫92ペ)

 暗い蚊帳のなかによこたわっているとヤモリの鳴く声がした。彼らは今夜も豆電球のまわりに群れて蚊をあさっていた。素娥はあえぎあえぎ下腹を波うたせ、咽喉を鳴らし、枕に顔を伏せていた。毛布をひきよせて背にかけてやると、かろうじて眼をあけ、ひろびろと微笑した。私は手をのばし、コンクリート床からシャツを拾うと、《バストス》を一本ぬきだして火をつけた。煙はにがく、タバコは湿っていた。ここでは何もかも湿る。水までが湿る。(新潮文庫149ペ)

ざっと読み直しただけだが、あまり印象になかった中学生のときの回想はラストと関わってたのだな。